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ビートルズのシングルの日本での発売順のご紹介

イギリスの国旗 シングル
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この記事では、ビートルズのシングルが日本でどのような順番でリリースされたかを詳しく紹介します。

彼らが世界的なブレイクを果たした背景には、イギリスでの快進撃だけでなく、アメリカ市場での成功が大きく関わっていました。

その勢いを受けて、日本でも立て続けにシングルが発売され、当時の音楽ファンを熱狂させていきます。

日本国内での人気は瞬く間に拡大し、若者文化の中心にまで浸透していきました。

発売順を追っていくと、アメリカやイギリスでのヒット状況が色濃く反映されている点や、日本独自のラインナップが含まれている点など、多くの興味深い要素が見えてきます。

こうした背景を踏まえながら、日本でのシングル発売史をひも解いていくことは、単にディスコグラフィーを確認する以上の意味を持ち、当時の時代性や文化的な空気を知る手掛かりにもなるのです。

世界進出と日本デビュー

イギリスで数々のヒット曲を送り出したビートルズは、1964年1月にアメリカに進出しました。

そこでのデビューシングル「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」が全米チャート1位を獲得したことは、まさに時代の転機を象徴する出来事でした。

この勢いを背景に、2月には早くも日本でデビューを果たし、瞬く間に若い音楽ファンの心を掴みました。

当初は「プリーズ・プリーズ・ミー」が日本でのデビュー曲に予定されていましたが、アメリカでの大ヒットを受け、急遽「抱きしめたい」がファーストシングルとして差し替えられることになったのです。

この判断は結果的に日本での人気を加速させ、ビートルズが単なる海外アーティストではなく、国内でも社会現象を巻き起こす存在へと一気に押し上げるきっかけとなりました。

さらに、この発売順の変更は、当時のレコード会社が世界の動向に敏感に反応しながら戦略を立てていたことを示しており、国際的な音楽市場が密接につながり始めていた時代背景を映し出しています。

レーベルの変遷

日本盤は当初オデオン・レーベルから発売されていましたが、1968年にビートルズ自身が立ち上げたアップル・レーベルの誕生によって、その流れに大きな変化が訪れました。

1969年3月に発売された「オブ・ラ・ディ,オブ・ラ・ダ」以降は、すべての新作シングルがリンゴのマークで知られるアップル・レーベルに移行し、それ以前にリリースされていた既存のシングル盤についても順次アップル仕様に差し替えられました。

この変更は単なるデザイン面の違いにとどまらず、ファンにとってはコレクション価値を高める重要な要素となり、音楽市場におけるブランド戦略の一環としても大きな意味を持っていました。

さらに、アップル・レーベルへの移行は、アーティスト自身がレーベル経営に関わる新しい形の動きを日本のファンに体験させることにもつながり、当時の音楽文化の広がりを象徴する出来事となったのです。

日本でのシングルリリース

1964年1月にアメリカ上陸を果たしたビートルズが世界制覇に向けて動き出し、日本でも1964年2月5日にデビューシングルが発売されました。

  • 1964年2月5日
    抱きしめたい / こいつ
    日本でのデビューシングルとして登場し、全米No.1の勢いをそのまま持ち込みました。A面はキャッチーなメロディで瞬く間にファンを獲得し、B面はコーラスワークが印象的で日本のファンにグループの魅力を強く示しました。
  • 1964年2月10日
    プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ
    イギリスでのセカンドシングルにあたり、日本でも人気が高まりました。A面は疾走感あふれるメロディでラジオでも盛んに流され、B面はやや落ち着いた楽曲で音楽性の広さを伝えました。
  • 1964年4月5日
    シー・ラブズ・ユー / アイル・ゲット・ユー
    “Yeah, Yeah, Yeah”のフレーズが当時の若者の流行語となり、ビートルズ人気を爆発的に広げました。B面もコーラス主体のシンプルな楽曲で、グループのハーモニーセンスを存分に感じられます。
  • 1964年4月5日
    キャント・バイ・ミー・ラヴ / ユー・キャント・ドゥ・ザット
    軽快なラブソングとして人気を集め、日本のチャートでも注目を浴びました。B面はロック色が強く、ライブでも盛り上がる定番となりました。
  • 1964年4月5日
    フロム・ミー・トゥ・ユー / アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
    イギリス初期の代表的ナンバー。A面は明るくキャッチーなメロディ、B面はライブでの定番曲として人気を誇り、日本でも彼らの実力を示す1枚となりました。
  • 1964年5月5日
    ツイスト・アンド・シャウト / ロール・オーヴァー・ベートーヴェン
    日本独自の組み合わせとして発売され、ジョンの迫力あるシャウトが聴ける「ツイスト・アンド・シャウト」と、ジョージがリードをとった「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」が収録されました。ロックンロールの熱気を伝える一枚として、多くの若者を熱狂させました。
  • 1964年5月5日
    ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット / サンキュー・ガール
    ジョージがリードを務めるA面は、彼の存在感を示す貴重な楽曲で、日本でも人気を集めました。B面は軽快で親しみやすいメロディが特徴的で、当時のラジオ番組でも多くオンエアされました。
  • 1964年5月5日
    オール・マイ・ラヴィング / ラヴ・ミー・ドゥ
    ポールの伸びやかな歌声が際立つ名曲と、記念すべきデビューシングルの組み合わせ。日本のファンにとっては、初期のビートルズの魅力をまとめて堪能できる贅沢な一枚でした。
  • 1964年6月5日
    プリーズ・ミスター・ポストマン / マネー
    モータウンやR&Bの影響を色濃く受けたカバー曲で構成され、日本のファンにビートルズのルーツを垣間見せたシングルです。ジョンの情熱的なボーカルが冴える「プリーズ・ミスター・ポストマン」と、パワフルな「マネー」の両曲はライブ感あふれる演奏で人気を集めました。
  • 1964年9月5日
    恋する二人 / ぼくが泣く
    「恋する二人(If I Fell)」はジョンとポールのハーモニーが美しいバラードで、B面「ぼくが泣く(I’ll Cry Instead)」は軽快ながらも切なさを感じさせるナンバーでした。日本のファンにビートルズの多彩な一面を伝える重要なリリースとなりました。
  • 1964年10月5日
    アンド・アイ・ラヴ・ハー / 恋におちたら
    ポールの代表的なラブソング「アンド・アイ・ラヴ・ハー」は、切なく美しいメロディで日本のファンの心をつかみました。B面「恋におちたら(If I Fell)」もジョンの感情豊かな歌声とハーモニーが光り、2曲揃って初期ビートルズの抒情性を堪能できるシングルとして高く評価されました。
  • 1964年11月5日
    マッチボックス / スロウ・ダウン
    両曲ともカバーで構成され、ロックンロールの原点を感じさせるシングルでした。リンゴが歌う「マッチボックス」はユーモラスかつ力強い仕上がりで、ジョンがボーカルを務める「スロウ・ダウン」はエネルギッシュでライブ感にあふれ、日本のファンにビートルズのロック魂を伝える作品となりました。
  • 1965年1月5日
    すてきなダンス / テル・ミー・ホワイ
    「すてきなダンス(I’ll Be Back)」はアルバム曲ながら日本独自にシングル化され、哀愁漂う旋律が人気を博しました。カップリングの「テル・ミー・ホワイ(Tell Me Why)」は軽快で明るいナンバーで、A面との対比によってグループの多彩さを実感できる一枚でした。
  • 1965年1月5日
    アイ・フィール・ファイン / シーズ・ア・ウーマン
    イントロのフィードバック奏法が革新的だった「アイ・フィール・ファイン」は、世界的にも話題を呼んだ実験的ナンバー。B面「シーズ・ア・ウーマン」はポールの伸びやかな歌声が印象的で、ブルージーな雰囲気を漂わせ、日本でも大きな支持を得ました。
  • 1965年2月5日
    ロング・トール・サリー / アイ・コール・ユア・ネーム
    「ロング・トール・サリー」はリトル・リチャードの名曲カバーで、ポールのシャウトが圧倒的迫力を放ちました。「アイ・コール・ユア・ネーム」はジョン作の佳曲で、隠れた名曲としてファンに愛されています。このシングルは彼らのルーツとオリジナリティの両方を味わえる重要な一枚でした。
  • 1965年2月5日
    ノー・リプライ / エイト・デイズ・ア・ウィーク
    「ノー・リプライ(No Reply)」はジョンの感情的なボーカルが響くバラード調のナンバーで、日本でも彼の歌声に心を奪われるファンが多くいました。カップリングされた「エイト・デイズ・ア・ウィーク(Eight Days a Week)」は明るいポップチューンで、キャッチーなフレーズが人気を博し、ラジオでも頻繁に流れました。2曲の対照的な雰囲気が、ビートルズの幅広い魅力を示すシングルでした。
  • 1965年3月5日
    カンサス・シティ~ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ / アイル・フォロー・ザ・サン
    ロックンロールの名曲をカバーした「カンサス・シティ~ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」は、ポールの力強いボーカルが光るライブ感満載の一曲です。対する「アイル・フォロー・ザ・サン(I’ll Follow The Sun)」は穏やかで美しいメロディを持つバラードで、シングル全体のバランスを見事に取っています。
  • 1965年3月15日
    ミスター・ムーンライト / ホワット・ユー・アー・ドゥーイング
    「ミスター・ムーンライト(Mr. Moonlight)」はジョンの伸びやかな歌声とオルガンの響きが特徴的で、日本のファンにも印象深い楽曲でした。「ホワット・ユー・アー・ドゥーイング(What You’re Doing)」は軽快なリズムのポップナンバーで、アルバム曲ながらシングルとしての魅力を持っていました。
  • 1965年4月15日
    パーティーはそのままに / みんないい娘
    「パーティーはそのままに(Leave My Kitten Alone)」は日本独自のタイトルで紹介された楽曲で、ビートルズのカバー曲としてエネルギッシュな仕上がりとなっています。「みんないい娘(Every Little Thing)」はポールの優しい歌声が映えるバラード調の作品で、聴く人に温かさを届けました。
  • 1965年5月15日
    涙の乗車券 / イエス・イット・イズ
    「涙の乗車券(Ticket to Ride)」は疾走感あるビートとメロディで、日本でも爆発的な人気を博しました。ジョンのボーカルが切なさを漂わせ、当時の若者たちに強い共感を呼びました。B面の「イエス・イット・イズ(Yes It Is)」はハーモニーが美しい佳曲で、A面とのコントラストが楽しめる一枚でした。
  • 1965年8月15日
    ヘルプ / アイム・ダウン
    映画と同名のタイトル曲「ヘルプ(Help!)」は、ジョンの必死さと切実さが表現された代表曲で、日本でも映画公開と合わせて大ヒットとなりました。B面「アイム・ダウン(I’m Down)」はポールのエネルギッシュなシャウトが炸裂するロックンロールナンバーで、ライブでの定番曲としても人気を博しました。
  • 1965年9月15日
    ディジー・ミス・リジー / アンナ
    「ディジー・ミス・リジー(Dizzy Miss Lizzy)」はラリー・ウィリアムズのカバーで、ジョンのパワフルなボーカルが際立ちます。B面「アンナ(Anna)」はソウルフルなカバー曲で、ハスキーなジョンの歌声が日本のファンの心に響きました。
  • 1965年10月15日
    恋のアドバイス / テル・ミー・ホワット・ユー・シー
    「恋のアドバイス(You’ve Got to Hide Your Love Away)」はボブ・ディランの影響を感じさせるアコースティックな楽曲で、ジョンの繊細なボーカルが印象的でした。カップリングの「テル・ミー・ホワット・ユー・シー(Tell Me What You See)」はやや地味ながら、穏やかな雰囲気がアルバム曲らしい味わいを持っています。
  • 1965年11月15日
    ザ・ナイト・ビフォア / アナザー・ガール
    ポールがリードを取る「ザ・ナイト・ビフォア(The Night Before)」は明るくキャッチーなポップソングで、映画『ヘルプ!』の挿入歌としても親しまれました。B面「アナザー・ガール(Another Girl)」も映画に登場する楽曲で、軽快なメロディとポールの存在感が際立つ曲です。
  • 1965年11月15日
    アクト・ナチュラリー / イエスタディ
    リンゴがボーカルを務めるカントリー調の「アクト・ナチュラリー(Act Naturally)」はユーモラスな雰囲気が魅力で、日本のファンからも親しまれました。B面「イエスタディ(Yesterday)」はポールのアコースティックギターと弦楽四重奏で構成された名バラードで、世界的に最もカバーされた曲のひとつとして知られ、日本でも絶大な人気を誇りました。
  • 1966年1月15日
    恋を抱きしめよう / デイ・トリッパー
    「恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)」はポールとジョンが協力して作り上げた名曲で、軽快なリズムと美しいメロディラインが特徴です。B面「デイ・トリッパー(Day Tripper)」は印象的なギターリフで始まるロック色の強いナンバーで、日本でもファンを熱狂させました。2曲ともにシングルとして強力な楽曲であり、当時の人気を決定づける重要な一枚となりました。
  • 1966年4月15日
    ひとりぼっちのあいつ / 消えた恋
    「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」はジョンの哲学的な歌詞と美しいハーモニーが際立ち、ビートルズの新たな表現力を示した作品です。B面の「消えた恋(What Goes On)」はカントリー調の雰囲気を持ち、リンゴがボーカルを担当する楽曲で、グループの多彩な側面を伝えました。
  • 1966年6月15日
    ペイパーバック・ライター / レイン
    「ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)」は斬新なコーラスワークとポップセンスあふれるメロディで注目されました。B面の「レイン(Rain)」は逆回転テープの導入など実験的な要素を多く含み、後期ビートルズのサイケデリック路線を先取りする意欲作でした。日本のファンにとっても衝撃的な作品で、ビートルズの進化を強く印象づけました。
  • 1966年9月5日
    イエロー・サブマリン / エリナー・リグビー
    「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」は子どもから大人まで楽しめる楽しい歌詞とメロディで、リンゴのボーカルも親しみやすさを与えました。一方、「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby)」はクラシカルな弦楽四重奏とジョン・ポールのハーモニーが融合し、深い孤独感を描いた名曲で、対照的な2曲を組み合わせたシングルは世界的にも高く評価されました。
  • 1967年3月15日
    ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー / ペニー・レーン
    両A面シングルとして発表され、ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は幻想的でサイケデリックな音世界を展開し、ビートルズの音楽性を大きく広げました。ポールの「ペニー・レーン」はリヴァプールの街並みを温かく描写した明るい曲で、聴く人に懐かしさを与えます。日本でも対照的な2曲の魅力が話題となり、幅広い層に支持されました。
  • 1967年8月5日
    愛こそはすべて / ベイビー・ユー・アー・ア・リッチ・マン
    「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」は世界同時衛星中継で披露され、日本でも大きな話題を呼びました。愛と平和をテーマにした普遍的なメッセージは世代を超えて支持され続けています。B面「ベイビー・ユー・アー・ア・リッチ・マン(Baby You’re a Rich Man)」はグルーヴ感あるリズムと独特のサウンドが特徴で、当時の新しい音楽的挑戦を象徴する一曲でした。
  • 1968年1月10日
    ハロー・グッドバイ / アイ・アム・ザ・ウォルラス
    「ハロー・グッドバイ(Hello, Goodbye)」はポールが中心となって作った明るいポップソングで、日本でも親しみやすさから幅広い人気を得ました。対照的にB面「アイ・アム・ザ・ウォルラス(I Am the Walrus)」はジョンの奇抜でサイケデリックな世界観が詰まった楽曲で、難解ながらも強烈な印象を残し、ビートルズの多彩な作風を象徴しました。
  • 1968年4月21日
    レディ・マドンナ / ジ・インナー・ライト
    「レディ・マドンナ(Lady Madonna)」はピアノのリフが印象的なR&B風の楽曲で、ポールのソウルフルなボーカルが光ります。B面「ジ・インナー・ライト(The Inner Light)」はジョージがインド音楽の影響を色濃く取り入れた作品で、日本のファンにとっても異国情緒漂うユニークな1曲となりました。
  • 1968年9月14日
    ヘイ・ジュード / レヴォリューション
    「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」は7分を超える大作で、ポールの温かいボーカルと観客を巻き込むような大合唱が世界的に愛されました。日本でも発売当時から大ヒットとなり、世代を超えて歌い継がれる名曲です。B面「レヴォリューション(Revolution)」はジョンの政治的メッセージを含むロックナンバーで、時代の空気を色濃く映し出しました。
  • 1969年3月10日
    オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ / ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
    「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ(Ob-La-Di, Ob-La-Da)」は軽快でユーモラスなポールの楽曲で、日本でも親しまれました。B面「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gently Weeps)」はジョージの代表作の一つで、深い哀愁を漂わせるメロディとエリック・クラプトンのギターソロが印象的です。
  • 1969年6月1日
    ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン
    「ゲット・バック(Get Back)」は原点回帰を掲げたロックナンバーで、ビリー・プレストンがキーボードで参加し、軽快なサウンドが魅力でした。B面「ドント・レット・ミー・ダウン(Don’t Let Me Down)」はジョンがヨーコへの愛を込めた情熱的な楽曲で、日本のファンの心にも強く響きました。
  • 1969年7月10日
    ジョンとヨーコのバラード / オールド・ブラウン・シュー
    「ジョンとヨーコのバラード(The Ballad of John and Yoko)」はジョンとヨーコの結婚や出来事を歌にしたストレートな楽曲で、話題性の高さも相まって注目を集めました。B面「オールド・ブラウン・シュー(Old Brown Shoe)」はジョージの作品で、ユニークなコード進行とリズム感が光る隠れた名曲です。
  • 1969年11月21日
    カム・トゥゲザー / サムシング
    「カム・トゥゲザー(Come Together)」はジョンが書いたブルージーなロックナンバーで、不思議な歌詞と重厚なグルーヴが特徴です。B面「サムシング(Something)」はジョージが作曲した珠玉のラブソングで、日本でも結婚式や記念日の定番として親しまれ、ビートルズの名曲の中でも特に高く評価される作品となりました。
  • 1970年3月25日
    レット・イット・ビー / ユー・ノウ・マイ・ネーム
    「レット・イット・ビー(Let It Be)」は、ビートルズ最後期を象徴する壮大で祈りのような名曲で、日本でも発売と同時に大きな話題を呼びました。多くのリスナーがその優しく包み込むようなメロディに心を打たれ、世代を超えて歌い継がれる作品となっています。B面の「ユー・ノウ・マイ・ネーム(You Know My Name)」は遊び心あふれる実験的な楽曲で、ビートルズのユーモラスな一面を垣間見ることができる内容でした。
  • 1970年6月5日
    オー!ダーリン / ヒア・カムズ・ザ・サン
    「オー!ダーリン(Oh! Darling)」はポールの情熱的でソウルフルな歌唱が魅力の楽曲で、日本のファンにも強烈な印象を残しました。対する「ヒア・カムズ・ザ・サン(Here Comes the Sun)」はジョージの代表的な作品で、明るく希望に満ちたメロディが春の訪れを思わせ、多くの人々を魅了しました。異なる作風の2曲を収録したことで、シングル全体に幅広い魅力が生まれています。
  • 1970年12月5日
    マジカル・ミステリー・ツアー
    同名映画の主題歌として知られる「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」がシングルとして発売され、日本のファンにとってはアルバムを手にする前にこの楽曲を耳にできる貴重な機会となりました。サイケデリックでカラフルな音作りは当時の新しい音楽潮流を感じさせ、発売当時から熱心なファンに高く評価されました。

ビートルス解散後に日本で発売されたシングル盤

ビートルズ解散後も、日本では彼らの人気は衰えることなく、数多くのシングル盤がリリースされ続けました。

これらのシングルは新録音ではなく、過去の名曲を組み合わせて発売されたものでありながら、当時のファンや新しい世代にとっても貴重な出会いの場となりました。

  • 1976年7月5日
    イエスタディ / 恋する二人
    「イエスタディ(Yesterday)」は世界的に最もカバーされたポールの代表曲で、日本でもシングルとして改めて発売され大きな反響を呼びました。シンプルながら心に残る旋律が再評価され、カップリングの「恋する二人(If I Fell)」もジョンとポールの美しいハーモニーが聴ける佳曲として注目されました。
  • 1976年7月5日
    ヘルター・スケルター / ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
    「ヘルター・スケルター(Helter Skelter)」はハードロックの先駆けとされる荒々しいナンバーで、日本のファンにも衝撃を与えました。B面「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ(Got to Get You into My Life)」はブラスを大胆に取り入れたソウルフルな楽曲で、両曲のコントラストがユニークなシングルでした。
  • 1979年10月5日
    サージェント・ペパーズ / ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
    名盤『サージェント・ペパーズ』からの象徴的な楽曲2曲を組み合わせた再発シングル。タイトル曲はアルバムを代表する壮大なオープニングで、B面の「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(With a Little Help from My Friends)」はリンゴのボーカルが光る友情賛歌として人気を集めました。再発ながら新しいファン層に強い印象を残しました。
  • 1981年9月1日
    レット・イット・ビー / ゲット・バック
    解散から10年以上経過して発売された本作は、改めてビートルズの存在感を示す一枚となりました。「レット・イット・ビー」は祈りのようなメッセージ性で幅広い層に受け入れられ、「ゲット・バック」は原点回帰を思わせるシンプルなロックとして高く評価されました。
  • 1982年4月21日
    ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー / すてきなダンス
    映画で使用された名曲をつなぎ合わせた「ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー」は、当時世界的に流行したメドレー形式の一例で、日本でも話題を呼びました。カップリングの「すてきなダンス(I’m Happy Just to Dance with You)」はジョージがボーカルを務めた初期の佳曲で、ファンにとってうれしい組み合わせでした。

まとめ

ビートルズの日本でのシングル発売は、世界的なブームと歩調を合わせつつ、日本独自の展開を見せた点に大きな特徴があります。

アメリカでのヒット状況がそのまま日本での発売順や選曲に影響を与えたほか、日本市場向けにオリジナルのシングルが登場したこともあり、当時の熱狂的な人気ぶりを物語っています。

また、オデオンからアップルへのレーベル移行は単なるレーベル変更にとどまらず、ビートルズ自身の新たなクリエイティブ戦略や世界的な音楽ビジネスの潮流を反映した出来事でもありました。

さらに、発売されたシングルはその都度、若い世代を中心に社会現象とも言える広がりを見せ、音楽ファンの生活や文化に深く根付いていきました。

こうした背景を踏まえると、日本盤シングルの歴史は単なるディスコグラフィー以上の意味を持ち、当時を知るファンにとっても、後世の音楽愛好家にとっても決して見逃せない貴重な記録となっています。

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