ビートルズの音楽は、世代を超えて多くの人々を魅了してきました。
私にとってもその存在は特別で、子どもの頃に偶然耳にしたテレビCMをきっかけに、彼らとの長い付き合いが始まりました。
本稿では、小学生時代の出会いから中学時代の熱中、そして大人になってからも続くビートルズとの関わりを、当時の思い出とともに振り返ります。
ビートルズとの出会いは炭酸飲料のCMから
私がビートルズという名前を耳にしてから、気づけばもうすぐ45年近くの月日が流れようとしています。
その最初の出会いは、小学生の頃に目にした三ツ矢サイダーのテレビCMでした。
当時の私にとって音楽といえば歌番組や学校の合唱くらいで、洋楽はまだ遠い存在でしたが、そのCMは特別な体験となりました。
夕方6時頃、12チャンネルで放送されていたアニメを夢中で見ていたとき、ふと流れたのがそのCMだったのです。
グラスに注いだ炭酸飲料の量を変えて音階を作り出し、「プリーズ・プリーズ・ミー」のメロディーを奏でるというユニークな演出は、子ども心に強烈な印象を残しました。
グラスを木琴のバチのようなスティックで叩く様子はとても愛らしく、遊び心にあふれていて、思わず真似してみたいとさえ思ったものです。
記憶の断片ではありますが、その頃はまだビートルズが解散してからわずか数年後の時代で、日本でも彼らの存在感が鮮明に残っていた頃だったのかもしれません。
今思い返すと、そのたった数十秒のCMが、自分とビートルズとの長い付き合いの始まりだったのだと、しみじみ感じます。
本格的に夢中になった中学時代
中学生になると、ビートルズの音楽にどっぷり浸かるようになりました。
それまでは断片的に耳にしていた曲も、この頃から一つひとつ丁寧に聴くようになり、アルバムを通して彼らの世界観を味わうようになったのです。
当時「ナショナル」と呼ばれていた今のパナソニックが販売していた「ステレオ・マック・ムー」というステレオラジカセは、当時の中学生にとって手が届く範囲の夢のようなアイテムでした。
シンプルな外観ながらも音の迫力があり、ラジオとカセットの両方で楽しめるのが魅力的でした。
親にお願いしてようやく手に入れたそのラジカセは、私にとって宝物のような存在でした。
カセットテープを何度も巻き戻しながら同じ曲を繰り返し聴き、歌詞カードとにらめっこしながら英語の発音を真似したり、友達と一緒に曲の感想を語り合ったりする日々が始まりました。
自分の部屋でスピーカーから流れるビートルズの音楽に包まれていると、まるで彼らの時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚え、胸が高鳴ったのを今でも鮮明に思い出します。
さらに、学校での音楽の授業や文化祭でもビートルズの曲が話題に上ることが多く、同じ趣味を持つ仲間たちと交流するきっかけにもなりました。
私にとって中学時代は、ビートルズを通じて音楽そのものの楽しさを知り、同世代とのつながりを深めた特別な時期でした。
音楽はラジオ録音が主流だった時代
当時、音楽を手に入れる手段は限られていて、レコードを買うかラジオを録音するしかありませんでした。
録音の機会を逃すと次はいつ聴けるかわからないため、1曲の重みが今とはまるで違っていました。
友人と「次はこの曲を録ろう」と相談し合ったり、放送予定をノートに書き込んだりと、日常の中に小さな緊張感と楽しみがありました。
私はFMラジオを録音する「エアチェック」をよくしていて、同級生たちも同じように音楽を楽しんでいました。
録音ボタンを押すタイミングが少しでも遅れるとイントロが欠けてしまい、悔しい思いをしたこともありました。
逆に、うまく録れたときは宝物を手に入れたかのように嬉しく、友達同士で貸し借りしながらコレクションを広げていきました。
FM放送の情報は「FMファン」や「FMレコパル」といった雑誌で確認し、2週間分の番組表を見ながら録音計画を立てていたのです。
雑誌にはDJのインタビューや最新機材の記事も掲載されていて、読み込むたびに新しい発見がありました。
その情報をもとに放送を待ち構え、カセットテープに収めることが、当時の音楽ファンにとっては一つの文化であり、特別な時間だったのです。
憧れのシステムコンポ
中学の高学年になる頃には「システムコンポ」という存在を知りました。
雑誌や家電量販店のチラシで大きなスピーカーや多機能のアンプが並んでいる写真を眺めるたびに胸が高鳴り、いつか自分の部屋に置いてみたいと夢見ていました。
しかし、その価格は当時で30万円ほどもする高級品で、庶民的な家庭の子どもには到底手が届かない代物でした。
裕福な友達の家に遊びに行ったときに、実際にそのコンポから流れる迫力ある音を耳にしたこともあり、そのときの衝撃は忘れられません。
音の厚みや重低音の響きがラジカセとはまるで別物で、「これが本物の音楽体験か」と感動したのを覚えています。
いつか自分も持ちたいという憧れは強くなっていきましたが、現実的には難しいことも分かっていました。それでも、家電量販店でコンポの前に立ち、操作ボタンに触れるだけでワクワクしたり、カタログを集めては何度も眺めたりするのが小さな楽しみでした。
音楽と共に過ごした学生生活
登下校中もラジカセを自転車のかごに入れて持ち歩くほど、音楽は常にそばにありました。
友人と帰り道に好きな曲をかけて一緒に歌ったり、放課後の公園で流して小さな即席ライブのような時間を楽しんだりすることもありました。
電池の消耗が早く、しょっちゅう単一電池を買いに走ったのも懐かしい思い出です。
テープが絡まってしまったときには鉛筆で慎重に巻き戻すといった、今では考えられない手間も当たり前のようにこなしていました。
「ステレオ・マック・ムー」は高級機種ではありませんでしたが、自分にとっては十分満足できるものでした。
大きな音量で鳴らすと少し歪むこともありましたが、それすらも味わいに感じられるほど、私にとってはかけがえのない相棒だったのです。
ビートルズをもっと知りたくて
やがて本屋に足を運び、ビートルズ関連の書籍を探すようになりました。
店頭には輸入盤の写真集や分厚いディスコグラフィー解説書、雑誌の特集号など、さまざまな書籍が並んでいて、その前に立つだけで胸が躍ったのを覚えています。
安価で情報量の多い本を選んでは夢中になって読み、彼らの歴史やエピソード、アルバム制作の裏話などを少しずつ学んでいきました。
時には付録のポスターを部屋に飾り、憧れをより身近に感じることもありました。
知れば知るほどさらに深く知りたくなり、図書館で洋書を眺めては英語の壁に悩んだり、輸入本の高額さに手が出せずにため息をついたりすることもありました。
それでも情報を求める気持ちは強く、安い文庫本と比べながらどれを買うか真剣に迷い、レジに並ぶまでの時間すら楽しい思い出です。
高価な本でなければ得られない情報も多く、手が届かないもどかしさを感じつつも、少しずつ知識を積み重ねていったことが今でも心に残っています。
大人になっても続くビートルズとの関わり
恋人ができるとビートルズへの熱中は少し落ち着きましたが、ドライブや移動中の音楽は常にビートルズでした。
彼らの音楽は日常の一部として自然に溶け込み、生活のリズムをつくってくれる存在になっていました。
デートの行き帰りに流すBGMとしても定番で、特に静かなバラードを一緒に聴いていると、会話がなくても心が通じ合うような感覚がありました。
ファッションや振る舞いにもどこかビートルズらしさを意識していました。
髪型を整えるときにはポールの写真を思い出し、ジャケットや靴を選ぶときにはジョンのスタイルを参考にするなど、自分なりに彼らの影響を取り入れていました。
そうした小さな工夫が、自分を表現する自信につながっていたように思います。
「ビートルズにいても違和感がないような自分でいよう」という気持ちは常に心のどこかにあり、その姿勢は社会人として人前に立つときの立ち居振る舞いにも活きていたのかもしれません。
気がつけば、50代後半になった今でも若々しさを保てている気がします。
それは単に外見のことではなく、音楽に触れることで心が柔らかく保たれているという感覚です。
日々の忙しさに追われても、車のスピーカーからビートルズの曲が流れると自然に肩の力が抜け、青春時代の熱い気持ちを思い出させてくれます。
彼らと共に歩んできた時間が、今も自分を前向きに支えてくれているのだと強く感じます。
ビートルズはただのバンドではない
解散から半世紀近く経った今も、その存在は色あせません。
ビートルズは単なるロックバンドではなく、音楽史や文化そのものに大きな影響を与えた特別な存在です。
彼らの楽曲は時代を超えて愛され続け、世代を問わず人々の心に寄り添っています。
ロックやポップスの枠を超え、芸術やファッション、さらには社会の価値観にまで影響を及ぼしたことを思うと、その偉大さは計り知れません。
彼らの音楽には言葉にできない魅力が宿っており、聴くたびに新しい発見や感情の揺さぶりがあります。
楽曲の中に込められたメッセージや旋律は、時代背景を知らなくても不思議と心に届きます。
そして何より、自分自身が成長する過程の中で常にそばにあった音楽として、ビートルズは人生の節目を彩ってくれました。
同じ時代に彼らを知り、リアルタイムではなくともその影響を受け続けられたことは、本当に幸運であり誇らしく思います。
ビートルズは「好きなバンド」という枠を超え、自分の生き方や考え方にまで深く関わってきた存在であり、これからもずっと私の人生に寄り添い続けてくれることでしょう。
まとめ
子どもの頃に偶然出会ったビートルズの音楽は、私の人生を大きく彩ってきました。
三ツ矢サイダーのCMで初めてその存在を知り、中学時代にはラジカセで夢中になって聴き込み、仲間と語り合いながら青春を過ごしました。
大人になってからも、ドライブや日常のBGMとしてビートルズは常にそばにあり、ファッションや生き方にまで影響を与えてくれました。
彼らの楽曲は時代を超えて心に響き、人生の節目ごとに勇気や癒しを与えてくれる存在です。
ビートルズは単なる音楽グループではなく、私にとって人生の道しるべのような存在であり、これからも変わらず寄り添ってくれることでしょう。
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