当記事では、ジョンの曲が初期ビートルズ大ブレイクの起爆剤だったということを紹介しています。
1980のプレイボーイラストインタビューでジョンがビートルズが世に出て認められ世界中で大ブレイクを起こした頃のヒット曲は、殆ど自分が書いた曲だと述べてます。
実際にその通りでデビューシングルの「ラブ・ミー・ドゥ」はポールの曲でしたが、セカンドシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」、サードシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」、以降の「シー:ラブズ・ユー」、「抱きしめたい」とジョンがメインで作った楽曲が続きます。
シー:ラブズ・ユー」でイギリスを制覇し、「抱きしめたい」でアメリカでヒットして世界制覇をしたのですから、まさにジョンの才能の爆発がビートルズの大ブレイクに繋がったと思います。
中期から後期にかけてポールの存在が大きくなりますが、もう一人の天才ジョンの才能が、初期ビートルズが奇跡とも言える大ブレイクをしてセンセーショナルな存在になった。
初期の大ヒット曲の連発がビートルズ旋風の起爆剤、そして洗練された見た目とウィットに富んだ記者会見等で人気を不動のものにしていった。
それはジョンだけの才能ではなく、4人が一つになった時のそれぞれの魅力が既存ではなく新しかったからだと思う。
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