当記事では、ビートルズで活躍するジョンとポールが出会った運命の場所「セント・ピーターズ教会」を紹介しています。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーと言えば、ビートルズの中心を担っていた二人で卓越した曲作りで有名ですね。ビートルズ時代に、「レノン・マッカートニー」というクレジットで名曲を沢山残しています。
ジョンとポール二人が出会った運命の場所は、アビーロードの横断歩道とは違った意味でビートルズファンにとっての「聖地」といえます。
ジョンとポールが出会った場所
ジョンとポールが出会った運命の場所は、リヴァプールのウールトンにあるセント・ピーターズ教会。
ジョンとポールが出会った日
運命の日は、1957年の7月6日です。
ジョンとポールが出会った経緯
ジョンが自分のバンド「ザ・クオリーメン」を率いて、セント・ピーターズ教会のガーデン・パーティーで演奏を披露した日です。
ネットで検索してみると、あどけなさを残したジョンがギターを抱えて歌っている写真を見る事ができます。
二人が出会った当時、ジョン・レノンは16歳、ポール・マッカートニーは15歳。青春真っ只中です。
後の二人が活躍したバンド「ザ・ビートルズ」はその後の音楽シーンやファッションに影響を与え、今現在も影響を与え続けています。
「ザ・ビートルズ」の成功のきっかけがの原点となったのがジョンとポールの出会った日と言われています。
神様に導かれる様に運命が二人を引き寄せたのですね。
出典:https://www.udiscovermusic.jp/stories/a-day-that-changed-the-course-of-history
デビュー後、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がヒットした後のビートルズは破竹の勢いで人気を拡大し続けて、イギリス国内はもちろんの事、アメリカを皮切りに世界的に人気を集めて、その現象は「ビートルズ旋風」とか「ビートルズ革命」と言われています。
革命というと流血のイメージがありますが、ビートルズ革命は違います。音楽で世界を変えたのです。
音楽を聴いて感動する人はいますが、争いで傷つく人もいません。
音楽とファッションで若者文化に革命を起こした過去に事例のない平和的な革命です。
その影響力は至るところに波及し浸透していき現代に至るまでインパクトを与え続けています。
その波及は全然関係ないと思われる医療分野にも及んでいます。
MRIですが、ビートルズがもたらした莫大なお金が開発に使われたとネットで読んだ事があります。
そんな影響力を持つバンド「ザ・ビートルズ」を形成するメンバーの要であるジョンとポールの出会いは、何年経っても特別な日になっています。
話をジョンとポールが出会った日の1957年に戻しましょう。
ジョンは自分のバンド「ザ・クオリーメン」を率いて地元のセント・ピーターズ教会で行われたガーデン・パーティーで演奏をしました。
当時のチラシ。下から2行目に「ザ・クオリーメン」の文字があります。
出典:https://www.udiscovermusic.jp/stories/a-day-that-changed-the-course-of-history
ポールは友人と、その日の午後に「ザ・クオリーメン」の演奏を見に来ていました。この時点では、まだ二人は出会っていません。
夜になって、再びジョンのバンド「ザ・クオリーメン」が出演しました。
この時に数曲ティーチェスト・ベースを弾いたアイヴァン・ヴォーンが、ジョンにポールを紹介たのです。
この瞬間が、ビートルズ成功のきっかけであり、後に世界に名を轟かせるジョンとポールの運命の出会いの瞬間です。
ジョンとポールは楽器の話や歌の見せあいをして楽しんだそうです。
ジョンとポールが出会った日である1957年の7月6日時点では、ジョンはポールをバンドにまだ誘ってはいません。
私が学生時代に読んだ本では、教会でジョンが酒臭い息を吐きながらポールに話しかけてきたと書かれていましたので、ジョンは酒を飲んでいたのかもしれませんが真偽はどうなのでしょうか?気になりますね。
それから数日後、考えた末にジョン達はポールをバンドに誘う事に決めました。
運命の出会いから2週間後にピート・ショットンがポールを「ザ・クオリーメン」に誘い、ポールがメンバーになると答えて「ザ・ビートルズ」への道が開けたのです。
この時のジョンとポールは、自分たちが、後に音楽で世界を変える事など露知らずに好きな音楽に没頭していたのかと思うと、男でも胸がキュンとなります。
まとめ
ビートルズで活躍するジョンとポールが出会った運命の場所「セント・ピーターズ教会」を紹介しました。
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